マルボロのタバコ、
バドワイザーのビール・・・
若かりし頃、国産のタバコやビールもあるのに、
ちょっと背伸びをしてマルボロやバドワイザーを飲む・・・
これはやはりアメリカへの憧れでもありました。
「アメリカを見てみたい」
学生だった頃、初めての海外はアメリカのロスとサンフランシスコでした。
そしてビールはお決まりのようにバドワイザーを飲んでました。
基地問題と言うと、沖縄がクローズアップされますが、
神奈川でも横須賀、厚木、キャンプ座間、そして横浜の本牧や根岸には
米軍の住宅がありました。
柳ジョージの歌にある、「フェンスの向こうのアメリカ」
これは横浜の本牧の米軍住宅が舞台になったんですが、
フェンス越しに見える、アメリカへの憧憬が歌になったものでした。
僕の若かりし頃、本牧や新山下のあたりでは、アメリカの空気が流れ、
横浜のミュージシャンも独自の路線で活躍してましたし、
その中でも東京のミュージシャンからも一目を置かれていたのが、柳ジョージでした。
現在の本牧は米軍住宅の跡地は住宅やマンションになってしまって、
あのリキシャルームも閉店してしまって、当時の面影は無くなりました。
それでも海軍の基地のある横須賀には今でもアメリカ色が色濃く残っています。
僕が初めて横須賀の米軍基地の前を通った時の第一印象は、
正面ゲートの場所には大きな樹があって、
瀟洒な建物の様子など、やはりアメリカへの憧れを感じさせてくれる場所でした。
重苦しい暗~い雰囲気の軍事施設というイメージではありませんでしたね。
そして、
「この基地の中はどうなっているんだろう」
好奇心がみなぎると同時に、柳ジョージの歌と同じ心情になりましたね。
また、すぐ近くにある 「どぶ板通り」 は
今では海軍カレーやネイビーバーガーと言ったご当地グルメで観光客も多いですが、
昔のどぶ板はそれこそ、横文字とバドワイザーとかクアーズのネオンサインの煌く
米兵向けのバーや飲み屋の通りでした。
ひとたび、第七艦隊が入港するとなると、乗組員は空母だけでも6千人・・・
どぶ板通りも米兵で大賑わいとなるわけです。
ちなみに背中にドラゴンのド派手な刺繍が施された「スカジャン」 は
米兵がおみやげとして買って行ったのが始まりなんですよ。
この横須賀基地も日米フレンドシップ・ディには、一般の日本人も入ることが出来ます。
ずっとフェンスの外から中の様子に興味を持っていた僕は、
横須賀基地のお祭りの日に中に入ったこともありました。
やはり日本の中のアメリカ・・・入場には日本国のパスポートも必要になります。
「ついに俺もフェンスの向こうのアメリカに入れるぜ!」
基地内に入ると、ハンバーガーやピザなどのレストランやPX、
そしてボーリング場やベースボール場などアメリカを感じさせるものばかりでした。
もちろん、ピザをつまみにバドワイザーを飲みながらのんびりと一日を過ごしました。
若かりし頃から、ずっとフェンス越しに思い描いていたアメリカへのイメージが
そこにはありました。
ついせんだっても、美里と横須賀にドライブに行った際、
老舗のネイビーバーガーのお店に寄って来ました。
すごいボリュームでこれだけで満腹になります。
残念ながらクルマの運転だったので、バドワイザーは我慢でした~。(^^;
セクシーに切れ上がったハイレグのバドスーツですと、
やはりアメリカンな感じがしますね。